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【真珠湾攻撃2】なぜ第二次攻撃は行われなかったのか【山本五十六】

 こんにちは。本宮貴大です。

 この度は記事を閲覧してくださり、本当にありがとうございます。

 今回のテーマは「【真珠湾攻撃2】なぜ第二次攻撃は行われなかったのか【山本五十六】」というお話です。

前回に引き続き、真珠湾攻撃をご紹介します。前回の記事は下記から。

 

 突然ですが、戦争とは情報戦です。

 いかに相手方の意志疎通を早く、正確に盗み取り、戦略・戦術を立てるか。が全てのカギです。

 第二次世界大戦ではアメリカは既に暗号解読に相当な時間とお金、労力をかけていました。第一次世界大戦でもイギリスが暗号解読に相当なエネルギーを費やしており、これによってイギリス海軍は、ドイツ海軍を圧倒しました。

しかし、日本はそうした「情報」を軽視していました。暗号解読は相当のエネルギーをかければどの国でも解読出来ます。

「日本軍の暗号を解読しました。奴ら太平洋上におります。専制攻撃を仕掛けてくるようです。」

「よし、わかった。」

この情報はすぐにルーズベルトのもとに届きました。

「太平洋上に日本軍の艦隊が?」

「ええ。標的は間違いなく真珠湾の太平洋艦隊です。」

「奴らめ、エサに食い付いたな。」

ルーズベルトはこの情報を太平洋艦隊には連絡せず、極秘情報としました。

 

一方、日本海軍は真珠湾攻撃に向け、着々とその準備をしていました。

1941(昭和16)年11月26日、南雲忠一中将率いる日本海軍空母機動部隊はハワイに向けて出港しました。そして同年12月2日、連合艦隊司令長官山本五十六から「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電報を受けた機動部隊は、アメリカに専制攻撃を仕掛けるべく船舶航行の少ない北緯40度以北の太平洋を東へ進みました。

そして日本時間の12月8日午前1時30分、零戦及び爆撃機など350機の第一次空中攻撃隊が発進しました。

 

その頃、ハワイでは結集した太平洋艦隊による訓練の日々が続いていました・・・。

そんなわけもなく、アメリカ海軍はレジャー気分でハワイでの生活を満喫していました。

 

その頃、日本海軍空母機動部隊は静かにその時を待ちました。ハワイ近海で出撃の時を待っていました。

 

ハワイ沖上空では真珠湾攻撃部隊のパイロット達がワアワアと騒がしく交信しながら真珠湾に迫っていました。

「よ~し。アメリカさんに太いヤツをぶちかましちゃる!」

「おいおい。兵隊さんは男だぜ。」

「だからいいのさ~♥」

「ガハハハハハ」

そしてハワイ時間の12月8日午前7時49分(日本時間午前3時19分)

「全機突撃!」

魚雷を搭載した零戦は戦艦に向けて爆撃を開始。続いて午前7時55分に爆撃機がフォード島への爆撃を開始しました。

 

「おい!攻撃を受けているぞ。いつまで寝ているんだ。応戦しなきゃダメだ!!!」

「あれは日本軍だな。なぜ日本が我々を攻撃してくるんだ?」

アメリカ海軍は大混乱に陥りました。

「全くこんなことになるなんて・・・・。」

攻撃は午前9時45分まで続けられました。

日本軍は破壊力はもちろんのこと、非常に正確な命中率を誇りました。

その結果、碇泊していた戦艦8隻のうち、4隻が撃沈、3隻が大破。6か所あった飛行場では米海軍機と陸軍機を合わせて355機のうち231機が破壊されました。

そして2402名(一般市民68名を含む)が戦死、1382名(一一般市民35名を含む)が負傷。太平洋艦隊は壊滅的なダメージを被りました。さらにこれは日本側としても予想外の戦果でした。

被害状況はすぐにルーズベルトのもとに届きました。ルーズベルトの誤算は被害が予想以上に大きかったことでした。

「碇泊中の艦隊が4隻も沈没だと!?こんなに被害が出るとは・・・聞いてないぞ。」

「申し訳ありません、大統領。奴らを見くびっていました。」

しかし、ルーズベルトはこれを実に上手に利用しました。

しかし、ルーズベルトは冷静になりました。この被害の大きさを最大限利用し、「専制攻撃」を「奇襲攻撃」へと話を作り替えることに成功しました。

 

 

攻撃を終えた日本の第一次攻撃部隊は順次母艦に帰投。

 

「まだ、修理施設と重油タンクが残っている。ひとつ残らず破壊して頂きたい。」

第一次攻撃部隊は真珠湾に決定的なダメージを与えるため第二次攻撃を司令部に催促しました。

しかし、呉(広島県)の連合艦隊司令部では・・・・

「長官、この機に敵艦隊を徹底殲滅するべきです!」

「そうです。真珠湾の米軍は大混乱に陥っています!」

「長官、今すぐ機動部隊に再攻撃命令を!」

しかし、山本はこう答えました。

「もはや奇襲攻撃とは成りえない。第二次攻撃は中止せよ。」

「長官、なぜ・・・・」

結局、再三の意見具申にも関わらず、山本は取り合おうとはしませんでした・・・。

 

そして、ハワイ沖の戦艦「赤城」の指令室でも「第二次攻撃は中止する」との命令が南雲忠一中将から出されました。

「南雲長官、第一次攻撃は成功です。この機に乗じて再攻撃を。」

「いや、司令部は攻撃を中止せよと命令してきた。」

「なぜですか・・・・。」

「我らの役目は果たした。全艦反転帰路につく。」

「そんな・・・・。」

 

山本はなぜ第二次攻撃を中止したのでしょうか。確かに山本は攻撃前、いっきにアメリカ海軍に大ダメージを与える必要がると言っていました。

実は、第一次攻撃の際、態勢を立て直したアメリカ側の応戦が意外に強力だったのです。日本にとってアメリカとの戦争は初めてで戦力も未知数。それに、つい最近まで互いに戦争回避のために奔走していたためにアメリカのことをよく分析もしていません。

このまま攻撃を続ければアメリカはどんな戦力と戦術で応戦してくるかわからない。下手に攻撃を仕掛けると日本側が手ひどい被害を受けると予想してしまったのです。

この他にも石油の供給が断たれたことによる燃料節約のためなど様々な説がありますが、一番有力なのは、アメリカに対する恐怖心だと思われます。

つまり、千載一遇のチャンスにおいて、「挑戦」よりも「恐怖心」が勝ってしまったのです。

 

アメリカではルーズベルト大統領が戦争参戦のための演説を行いました。

アメリカ国民のみなさん、昨日1941年112月8日はアメリカ史上最大の汚点とも言える日となりました。この日は長く記憶される日となるでしょう。パールハーバーに停泊していた我が国の太平洋艦隊が日本海軍航空部隊に奇襲攻撃を受けたのです。」

卑怯な戦法・戦術を嫌う国民性も相まってアメリカの世論には「日米開戦止む無し」と一気に日米開戦へと傾いていきました。そして「リメンバー・パールハーバー」を合言葉にアメリカ国民をは一致団結しました。ルーズベルトの作戦は大成功。こうしてアメリカは第二次世界大戦へと参戦していくのでした。

 

以上

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本宮貴大でした。それでは。

 

参考文献

仕組まれた昭和史                副島隆彦=著  日本文芸社

昭和史を読む50のポイント           中村隆英=著  東京大学出版会

教科書よりやさしい日本史            石川晶康=著  旺文社

子供たちに伝えたい 日本の戦争         皿木善久=著  産経新聞