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【どう違う?】縄文文化と弥生文化

こんにちは。本宮 貴大です。
この度は、記事を閲覧してくださって本当にありがとうございます。
今回のテーマは「【どう違う?】縄文文化弥生文化」というお話です。
是非、最後までお読みくださいますようよろしくお願いします。
まず、縄文時代とはどんな時代だったのか。また、弥生時代とはどんな時代だったのか。それぞれわかりやすく解説したいと思います。

縄文文化 弥生文化
狩猟・採取 水稲農耕
新石器時代 金属器の時代
平等社会 身分社会
平和な時代 争いの時代
東日本で栄える 西日本で栄える

 その最大の違いは、狩猟採集社会から水稲農耕社会へと移行したことです。
 縄文時代の人々は、狩猟・採集の生活をしており、おもに自然の木の実や魚、獣などを獲って少数の集団で暮らしていました。
それが、縄文時代後期に大陸から伝えられた稲作により、人々の暮らしに変化が生じました。
 これが、弥生時代の始まりです。
稲作は北海道と沖縄を除く日本列島に伝わっていきました。
稲作は大変な共同作業であるため、より多くの人々が水田の近くにまとまって、定住生活を営むようになりました。
これがクニのはじまりとなります。

 縄文時代のような狩猟・採取社会は木の実が豊かな落葉広葉樹林帯の東日本の方が生活しやすく、狩猟も俊敏なイノシシやクマよりも捕獲が容易なサケ・マスなどの魚介類が中心で、その遡上(そじょう)も東日本に多かったため、縄文文化は東日本で栄えました。
 一方、弥生時代のような水稲・農耕社会はより温暖で地域が適しており、稲作は朝鮮半島や中国の江南地方から九州地方に伝わったため、弥生文化は西日本を中心に栄えました。

 弥生時代の特徴として鉄器と青銅器の出現が挙げられます。
 縄文土器は別名・新石器時代ともいわれますが、石器の刃の部分を研磨して鋭くした磨製石器によって、狩猟・採集作業の効率化が実現しました。
それが弥生時代になると、鉄器が農耕具に利用されたことで、農耕作業は飛躍的に発展しました。また、鉄器は鉄剣や鉄の矢尻にも使われ、石器よりもはるかに攻撃力のある武器として戦争の際の主役となりました。
 青銅器は、軟弱であることから実用例は少なく、むしろ権威の象徴や富の象徴として、また豊作を願う儀式の時の祭具として用いられたのではないかと考えられています。

 弥生時代水稲農耕は、貧富の差と戦争を引き起こしました。
 縄文時代の人々は、互いに協力しながら食料を獲得し、仲良く獣肉を分け合うという素朴で平和な日々を過ごしていました。
それが弥生時代になり、本格的な農耕が行われるにつれ、農業に適した土地や水の奪い合い、農産物の奪い合いなどが増え、戦争の時代へと突入してしまいました。

そうやってクニ同時が互いに争い、その争いを制していった強力な集落は、周辺の集落を統合していき、徐々に政治的なまとまりのあるクニが形成されていきました。

そのクニの中では、良い水田を持つものと、持たざる者、高い稲作技術を有する者とそうでない者の間に歴然とした貧富の差が生まれ、それはやがて身分の差へと発展していきました。